性善説性悪説

生きていく上で必要なことは"快く"感じるようになっています。


食べる悦びというのが無い生き物があったとして。

何を食べても「おいしい」と感じられず、苦痛でしか無ければ、食べるのを止めてとっくに絶滅してしまっているでしょうね。

快いものは「身体が求めている」ものとも言えます。

喉が渇いているからこそ水がおいしいのであって、飲みたくも無いのに無理矢理飲まされることは苦痛になります。


快い、愉しいことだからこそする必要のあることで。

苦痛を伴うものは少なくともその時それはする必要が無い、というよりむしろ"すべきでない"ことと言えます。


生きていくのに必要不可欠な水だって、過ぎれば毒となるのです。


三大欲求と言われるものがあります。

食欲・睡眠欲・性欲。

これらも生きていく上で欠かすことの出来無いものですから、どれも快さを味わうものです。

この性欲というのは大きく「子供を産み育てる」欲求と言えます。

単なる性行為での快感覚だけでなく、子供を産んで育てていく為に必要なものは全て快であるはず。


今は、月経痛があるのが当たり前で「その苦痛を理解しないヤツはクズだ」みたいな風潮になりかかっているように見受けられますが。

それはオカシな話で、月経痛なんて"あるのがおかしい"ものです。

出産だって本来はあんな大きなものを排泄するんですから、快く感じるのが当然で「痛がらなきゃいけない」みたいなことにされてるから、みんな演技してるだけ。


そういう子宮を持つが故の女性特有の生理は本来"快"であるはずのものです。

それが今は快と捉えられないということには理由があるのでしょうが、それはまた別の機会で。


人は産まれてすぐに立ち上がることはおろか、体勢を変えることも喋ることも出来ず、ただ生きているだけですね。

身の回りの世話を頭の先から爪先まで凡て誰かに頼まなければ生きていけません。

この、子供の身の回りの世話をすることも、本来的には性欲のひとつ。

"快"の行為です。


子供に限らず、人は"頼られる"ことに快を感じるようにもなっています。

日本では働くことは「傍を楽にする」ことと言われるように、人は「誰かの為になることをする」ことに悦びを感じる生き物です。

じゃなきゃ、無力な赤ん坊は生きられませんからね。


そして。

それはつまり、誰かに頼らないといけないということでもあります。

じゃないと、他人の悦びを奪ってることになりますからね。


誰かの為にではなく、自分に都合良く生きようとすると、本質的な「快」を感じられない為に執拗に繰り返さなければならず、それでも充足できないためにどんどんエスカレートしていきます。


中毒と一緒ですね。


それをちょっと方向を変えて、誰かの為になるようなことに切り替えるだけで、充たされるようになります。


「頼るのも頼られるのも苦手」という人はですから人として不完全で、頼って頼られて初めて完成した"人間"になります。


あけましておめでとうございます。

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